Thoughts for Tomorrow(4):ビル・ストリックランドの冒険
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 04 コレクティブ・インパクトの新潮流と社会実装』より転載したものです。
井上英之 Hideyuki Inoue
15年ほど前、ピッツバーグの国際空港に降り立ったとき、あー、これがビル・ストリックランド*の言っていた体感なんだと、わかった。明るい光の差すその空間は、確かに歩いているだけで、自分が温かく迎えられているようだった。
今回の特集、コレクティブ・インパクトの源流には、ソーシャルイノベーションの「スケーリング」(うまくいったプログラムの他地域展開)があると書いた。
実は、この「スケール」を望むとき、その人の背景にある動機は結構複雑である。
長い間、スケールするとは良いことだとされてきた。その影響もあって、気づけば、意識的・無意識的に、世界を大きく変えること、規模を達成することが評価されるための軸になってしまう。自分が本当にほしい未来や、それに取り組む大切な動機が、そこにあるのかどうかを問うこともなく、ただスケールに邁進することは、ビジネスでもソーシャル分野でもよくあることだ。
今回、コレクティブ・インパクトの記事を書くために、過去のSSIR論文をずいぶん読んだ。そのなかには、自分が過去に感銘を受けた、とても大切な論文がいくつも入っている。
社会起業家精神(ソーシャル ・ アントレプレナーシップ)研究の父、グレゴリー・ディーズが書いたスケールに関する論文(2004)もその1 つだ。その冒頭に、当時の僕にとってヒーローの1人だったビル・ストリックランドが登場する。
彼の事業は、自宅の一部を改造したアトリエで自分と同じような貧困地域の若者向けにアートクラスを始めたところから始まる。後に大きく発展した彼のセンターの基本的な役割は、若者向けの職業訓練だが、それだけではない。
ピッツバーグの低所得エリアにいる若者たちが、この場に来ると、静かな気持ちになる。自分が大切にされていると感じられる。アート作品をつくり、料理や花卉栽培、医療などのビジネスや職業訓練を通じて、若者たちは自分に価値を見出す。自らの尊厳と力強さに気づいた彼らは、自分の人生や未来に希望を抱き、仲間とともに巣立っていく。
そのすべての原点にあるのは、創造性の発揮である。創造性を発揮するとき、人は、自分という存在に心地よさと信頼を感じ、今に集中している自分自身に好感を持つ。この基本的なプロセスを、論理や説得によってではなく、教科書からでもなく、体感することを通じて、ストリックランドは、若者たちに手渡していくプログラムを生み出した。
その原型は、彼の過去の経験にあった。ピッツバーグの貧困地域で育った彼は、ある日美術教師のロス先生と出会い、陶芸を始める。いつもの喧騒や怒鳴り声などない、陶芸に没頭するその空間はとても静かで、目の前のものにフォーカスできる。そして、手を動かすなかで、彼は自分の手から生み出される世界に魅了されていく。
この時間を通じて、彼は、彼自身の尊厳と可能性に出合い、自信を深め、人生の大きな転機を経験していくことになった。この経験が、彼の出合った人生の変え方であり、世界の変え方である。自分の足元から世界は変わっていくのだ。
その後、彼の事業は大きな成功を収め、マッカーサー財団による著名な「天才賞」なども受賞した。だが、その天才もスケールにはてこずった。
ディーズの論文にもある通り、彼はかなり速いスピードでセンターの大規模展開を描いていたが、まったく思うようには進展しなかった。
僕はときどき、青年ストリックランドが、陶芸のろくろを回している姿を思い浮かべる。その体感から生まれた、光や水を意識したアトリエの空間。コミュニケーションも含め、彼が再現し続けた場のデザインは、心地よく、あなたを大事に思っているよと伝えてくれる。
それだけでも、僕は彼から大切なものを引き継ぎ、学んだと感じている。これも大切なインパクトの承継ではないだろうか。彼の事業は、構想したそのままのかたちではスケールしなかったかもしれないが、彼が育ててきた大切な火種を僕は受け取った。僕と同じように、彼の影響を受けた人たちは世界に数多くいるだろう。
こうやって、集合体としての人類は、進化をしていると言ってもいいのではないだろうか?
実は、スケールについて考えることは、「本当の望み」を探っていくプロセスでもある。
誰にだってエゴはあるし、周囲の文脈や社会通念に引っ張られるのも自然なことだ。そんな自分に気づき、揺れながらも、自分の奥底で体感している大切なこと、自分のなかに湧き上がる「願い」のようなものがある。彼が、自分の事業をスケールすることを超えて、かなえたかったことは何だろうか。
ビル・ストリックランドの行った通りにやるのでなくて良い。彼が残したのは、彼の意図や背景に合わせて生まれた、1つのやり方であり、決定版ではない。
今号のコレクティブ・インパクトの旅は、スケーリングをめぐる旅でもある。
この世の中をつくる、一人ひとりのたくさんの営み。その厚みの一端に、事業の規模や広がりなど、目に見えてわかりやすいDoingとしてのスケールもあるだろう。一方で、人から人にBeingとして伝わっていく広がりもある。僕たちが日常のなかで取り組む、数々の小さな挑戦や試行錯誤、やってみること。そこにある願い。それこそが歴史をつくっている、いとしく、すばらしいものだ。
だから、挑戦の数を増やそう。同時に、挑戦したいと思ったことも、挑戦できなかったことも、今は挑戦するときでない、と選ぶことも含め、すべての「私」を大切にしたい。そうした個々の存在が、目に見えるスケールの背景となる「厚み」をこの世界にもたらす。
そんなことを考えながら、ピッツバーグの空港のことを思い出していた。天井や壁にあるたくさんの窓から光が差し込むこの空港は、ピッツバーグの荒廃しかかった地域を変化させたストリックランドの手法をモデルとして空間がデザインされている。その空間には、彼が困難のなかでも大切に伝え続けた温かさがあふれている。
井上英之
スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 共同発起人。一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズ 理事。慶應義塾大学、ジョージワシントン大学大学院卒(パブリックマネジメント専攻)。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)を経て、NPO法人ETIC.に参画。近年は、マインドフルネスとソーシャルイノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。訳書に『世界を変える人たち』、監修書に加藤徹生著『辺境から世界を変える』(以上、ダイヤモンド社)、近著論文に「コレクティブインパクト実践論」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2019年2月号、ダイヤモンド社)などがある。
*ビル・ストリックランド
マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーション元CEO。1947年米国生まれ。ペンシルバニア州ピッツバーグのスラム街に育つが、高校時代に陶芸と出合い、自信と生きがいを見つける。その経験をもとに大学在学中に貧困地域の子どもたちを支援するため、陶芸、写真、絵画の教室を開催。後に革新的な職業訓練も提供し、人々に生きる希望を与え、地域社会の活性化に貢献する。その成果は奇跡と称され、全米はじめ世界から注目される。ハーバード大学教育大学院の講師、全米芸術基金の委員などを歴任。2010年よりオバマ大統領(当時)に任命され、ホワイトハウス評議委員も務めた。著書に『あなたには夢がある』(英治出版)。