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Thoughts for Tomorrow(1):意図することと委ねること

Thoughts for Tomorrow(1):意図することと委ねること

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 01 ソーシャルイノベーションの始め方』より転載したものです。

井上英之 Hideyuki Inoue

『ドラえもん』に「モアよドードーよ、永遠に」という、伝説の回がある。

のび太とドラえもんが、「タイムホール」と「タイムトリモチ」という道具を使い、過去の世界から、絶滅した動物たちを現代に連れ出して無人島に保護する、という物語だ。

僕と5歳の息子はこの話に夢中になり、それ以来絶滅した生き物の生き様をふたりでよく考える。モーリシャス島のドードー。伝説の巨鳥、ニュージーランドのジャイアントモア。そして、かつて北米大陸を席巻したリョコウバト。

そして、絶滅した生き物のロマンに取り付かれた僕たちは、先日、ある古本屋で『絶滅生物図誌』というすてきな本を買った。その帯に、こんな一文があってはっとした。

「絶滅にカタルシスを感じる生き物なんて、きっと人間しかいないでしょう⸺」

多くの動物が人間の乱獲や環境破壊で絶滅した。これではいけないと絶滅危惧種を保護したり、復活させようという試みもある。

かつては地上に50億羽もいて、人間に食べられ尽くされてしまったリョコウバトが、いまDNAテクノロジーを使って復活させられようとしている。でも、人間が復活させたくない動物はきっと絶滅したままだろう。何を絶滅から救うのか。それも結局は人間のエゴでしかないのだろうか。

創刊号から、絶滅した生き物のことを考えるなんてちょっと変に思うかもしれない。問いたかったのはこういうことだ。

私たちは、どれくらい意図して世界をつくりたいのか。
私たちは、どれくらい運命や大きな流れに身を委ねて生きようとしているのか。

この意図することと委ねることの境界線が、いま大きく揺らいでいる。
人類は、かつては委ねるしかなかったことの多くを意図することができるようになった。

人間は自らの影響を考慮して、自然の淘汰に介入し、地球や生命との新しい関係性を模索すべきなのか?
過疎は寂しいと感じるが、意図して再生するのがよいのか?
老いを受け容れることと、先に延ばすことは、それぞれどんなことなのか?

そこに二択ではない、新しい選択肢はあるのだろうか?もしかしたら「委ねることを意図する」という選択肢もあるのかもしれない。意図することは人間の傲慢さかもしれないけれど、大切な挑戦でもあると僕は考えている。

大きなものへの敬意を払いつつ、意図をもって、新たな選択肢をつくろうとする。その冒険の旅を、皆さんと始めることができたらうれしいです。

井上英之

スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 共同発起人。一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズ 理事。慶應義塾大学、ジョージワシントン大学大学院卒(パブリックマネジメント専攻)。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)を経て、NPO法人ETIC.に参画。近年は、マインドフルネスとソーシャルイノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。訳書に『世界を変える人たち』、監修書に加藤徹生著『辺境から世界を変える』(以上、ダイヤモンド社)、近著論文に「コレクティブインパクト実践論」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2019年2月号、ダイヤモンド社)などがある。

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