環境正義を実現するコミュニティ主導型科学の可能性
科学者と市民が協働して科学を実践する市民科学において新たに注目されている領域がコミュニティ主導型科学だ。地域社会の問題について住民が科学者に支援を要請することから始まり住民生活の目に見える改善をインパクトとして重視する。
自然災害、公衆衛生、環境汚染などの分野を中心に導入されているそのプロセスを通じてより民主的で公正な科学のあり方が模索されている。
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』より転載したものです。
ルイーズ・リーフ
科学のやり方を根本的に変えよう⸺
そんな国際的なムーブメントが動き出している。牽引しているのは数千人の駆け出しの科学者と学生たちだ。運動の目標は「私たちが『科学』とみなすものの境界線を広げ、結果的に科学とその利用方法を根本的に変えることです」。そう話すのはアメリカ地球物理学連合(AGU)のプログラム「スライビング・アース・エクスチェンジ(Thriving Earth Exchange, TEX)」のシニアディレクター、ラジュール・パンジャだ。この運動に関わる科学者たちは、地域社会のリーダーや一般市民と協力し、「コミュニティ主導型科学」を実践するための新しいルールと方法論を確立しようとしている。これは、「市民科学(詳細は後述)」にさらに多くの一般市民を巻き込み、身近な存在にしていくための取り組みの一環である。この動きには、前身となるムーブメントが2つある。いずれもインターネットがもたらす民主化の流れのなかで生じたものだ。
1つは「オープンサイエンス」。科学的な調査研究をより身近なものにして、研究の初期段階から最終段階まで一貫して共有と協働を推進しようという動きである。もう1つは「オープンデータ」で、誰でも好きなように利用、再利用、共有できるデータを支援していこうという動きだ。この2つから自然発生的に生まれてきたのが「コミュニティ科学」である。
オープンサイエンスの推進派に言わせれば、科学のあり方は本来ずっと以前にリセットされてしかるべきだった。科学の分野は何十年もの間、一部の専門家が「科学先導型(サイエンスプッシュ)」と呼ぶやり方がまかり通ってきた。何を研究すべきか、何を問うべきか、どうやって研究をすべきか、そしてどんな成果を評価すべきか、そのすべてをトップダウンで科学者が決め、一般市民が関わるケースがあったとしても、たんに研究対象としてか、科学者が選別・提供した知識の消費者としてでしかなかった。
このような科学のあり方がもたらしたのが、一般市民の科学者への不信感だ。科学者の動機や価値観、ビジネスとの関わりに対する疑念が渦巻いている。科学とは、観察と実験を通じて対象を研究し、仮説を検証するためのより普遍的な根拠を見つけていく過程であり、そこからさまざまな発見がもたらされる。ところが、そうして生まれた発見がどのような影響や結果をもたらすのかは科学の領域外とされてきた。しかしながら、アメリカで大きな社会問題となっているオピオイド過剰摂取被害を見れば、科学に関わる人々の価値観と動機が極めて重要であることは明らかだ。製薬会社が強い中毒性のあるこのドラッグをなりふりかまわず売り込み、リスクを矮小化し、医師に誤情報を流してきた結果、壊滅的被害が広がったのである。
オープンサイエンスの推進派は、科学とは、私たちの暮らしにおける科学の価値を世に知らしめるための、科学者と一般市民の共同事業であるべきだと信じている。そのようなコラボレーションが実現すれば、科学者、コミュニティ、規制当局、政治家、大学などの研究機関、資金提供者それぞれのあり方も、全体としての動きも、変わってくるだろう。それぞれの主体にとって、科学を市民の意思決定に組み込むことがより容易になり、解決すべき問題の選定もより低コストで効果的にできるようになるだろう。こうした共同事業は、市民活動に新しいチャンスをもたらし、一般市民は科学をもっと「自分ごと」として捉えるようになるだろう。まさに「私たちの」科学になるのである。
市民科学との違い
いまのところコミュニティ科学は、より大きなくくりである「市民科学(シチズンサイエンス)」の一部として存在している。市民科学を実践する人たちの間では、この両者の違いがいつも議論になる。「市民科学」と「コミュニティ科学」は同義語として使われることも多いため、後者を指す場合は「コミュニティ主導型科学」という言葉をあえて使い、両者の最大の違いを強調する場合もある。
市民科学の担い手である市民科学者は、研究課題の設定や解決、データ収集などで科学者に協力もしくは協働するというかたちで科学を実践する。こうした取り組みの多くは、科学機関や政府機関の研究者が取りまとめ、引っ張っていく。市民科学の大御所としては、ズーニバース(Zooniverse)やサイ・スターター(SciStarter)などのポータルサイトが知られている。前者はオックスフォード大学とその提携機関が主宰するプラットフォームで、研究者がプロジェクトを立ち上げ、それに協力する一般市民を募る場所だ。後者はアリゾナ州立大学とノースカロライナ州立大学の研究協力機関であり、3000 件を超える研究プロジェクトのデータベースを擁する。ズーニバースの登録ボランティア数は230 万人を超えており、探査ロボットのマーズ・ローバーに火星の地形の分類方法を教える手助けをしたり、重力波の検出に挑戦したり、シロイルカの年齢・性別・群れの大きさを判別したりと、幅広い分野の調査研究を支援している。
一方、コミュニティ主導型科学はその名が示す通り、度重なる洪水や山火事、飲料水の鉛汚染など、例外なく地コミュニティ域社会の問題がきっかけとなり、地域社会が科学者の助けを求めることから始まる。あらゆる分野の科学的調査をコミュニティ主導でやるべきとは言わないが、公衆衛生など一般市民の関心事に結びつく分野にはこうしたアプローチが向いている。コミュニティ主導型科学は、私たちの暮らしに直結するような問題を調査し、対策を考え出す際に役立ってきた。具体的には感染症、薬物乱用、家庭内暴力、食の安全といった問題だ。環境問題に関しても、汚染管理、災害リスク管理と天然資源管理、気候変動被害の回復など、複数の分野でコミュニティ科学が導入されている。
市民科学とコミュニティ主導型科学の大きな違いの1 つは、権限の分担にある。一般に市民科学の場合、研究資金の調達や研究テーマの決定は科学者や彼らの所属機関の仕事だ。一方、コミュニティ主導型科学の場合、研究プロジェクトは科学者と地域社会とで共有することが多く、また地域住民は自分たちのニーズに基づき研究課題の決定にも一定の役割を果たす。研究の成果(インパクト)として重視されるのも、学術的な研究論文ではなく、住民生活の目に見える改善である。地域住民が科学者の研究を手伝う場合もあれば、関与しないケースもある。また、資金集めや研究計画策定に地域住民が関わることもある。仮に研究プロジェクトの結果が学ジャーナル術誌に掲載されることになれば、科学者だけでなくその地域社会も研究論文の著者として記載されることが多い。公衆衛生の学術誌『ジャーナル・オブ・パブリック・ヘルス』(Journal of Public Health)が2020 年に公開した、デトロイトにおける水の供給不安に関する報告書で、学会に属する研究者とともに地域社会のリーダーたちの名前も共著者としてクレジットされたのはその一例だ。
コミュニティ主導型科学は市民活動と相性がよく、地域社会が喫緊の問題に対処したり、意思決定を促進したりするのに使える多数のツールの1 つである。ネイティブアメリカンやその他の先住民族は、コミュニティ科学の手法を発展させるのに貢献してきた。その一例が、先住民族の運営する審査委員会だ。これは、研究プロジェクトを監視し、先住民族に関するデータの所有権を誰が持つのかを定める条項をチェックするための組織だ。先住民族虐待の長い歴史が「科学先導型(サイエンスプッシュ)」のやり方の下で生じたことに対する、先住民族側の対応である。いまではアメリカやカナダの多くの部族においてコミュニティ主導型科学はあたりまえのように実践されている。
いまの科学に欠けている4つの要素
いまの科学のあり方を批判しているのは先住民族だけではない。コミュニティ科学の推進派は、一般市民の暮らしにもマイナスの影響を及ぼしている現状の科学の仕組みと体系の欠点をリストアップし、学界の習慣や科学の実践方法に見られる欠陥や歴史的不公正を指摘し、コミュニティ科学が必要とされる根拠としてきた。従来型の科学の欠陥のうち、いまもなお一般市民の暮らしに悪影響を及ぼし続けている大きな問題点を4つ挙げよう。
❶「手つかずの科学」の存在
市民社会にとって重要性が高いものの、研究資金が付かなかったり専門家の関心をひかなかったりして放置されたままの研究テーマがある。社会学者はこれを「手つかずの科学」と名付けた。この言葉はまた、研究や調査の実行におけるコミュニティ間格差を指すこともある。辺境や貧しい地域が典型的だが、コミュニティによっては観測装置や実験施設が身近にないこともあるし、たとえば空気や水の成分測定、健康影響評価、建設・開発が住民生活に及ぼす影響の分析など、必要とされる専門技術が得られないこともある。
悪臭や水質汚染で健康被害が出ていると地域の住民が当局に報告をしても、そうした苦情が無視されたり軽視されたりすることさえある。必要な研究を実践できないことは、その地域社会にゆゆしき結果を招く。正確に記録された科学的証拠がなければ、深刻な健康被害や環境汚染も個別の事例で終わってしまい、被害発生の証明やその対策にまでつなげるのが難しいからだ。たとえば、各州の環境規制当局は多くの場合、工場、ゴミの埋め立て地、焼却炉、発電所、工業地区、化学・石油・ガス施設、輸送拠点、貨物専用鉄道などに隣接する、汚染の影響を真っ先に受ける居住地域では汚染物質を計測しない。
通常、規制当局はこうした地域よりはるかに広いエリアを対象にデータを集めて数値を平均化する。しかも、計測機器のなかには汚染レベルを示す数値が一定以上大きくならないようプログラムされているものもあり、計測値を低く抑えるために汚染源から極めて遠い場所に設置しているケースもある。そのうえ規制当局は、汚染物質の空中放出や廃水の量や、漏洩・流出などの事故を把握する手段として、企業の自己申告に頼ることが多い。デベロッパーや汚染源となっている業界の作成する環境影響評価書(EIS)は、極めて重要な計測値が抜けていたり、地域社会に与える潜在的な危険性を大幅に過小評価したりしかねない。その地域社会が歴史的に疎外されてきた地域なら、なおさらその可能性が高い。
❷誰も計測しない累積的影響
カリフォルニア州やミネソタ州など一部の例外を除き、連邦政府の環境保護庁(EPA)も州レベルのEPAの大半も、「複数の汚染源による累積的影響」を計測する義務はない。こうした規制当局の多くは、工業地域を指定し、石油精錬所や焼却炉や化学工場といった産業施設の建設を許可するにあたり、施設ごと、汚染物質ごとに許可を与える。この仕組みのせいで、デトロイト南東部、郵便番号48217 のエリアが直面したような状況が生じるのだ。アフリカ系アメリカ人の住民が大半を占めるこの地区は、半径3 マイル(5 キロメートル弱)の範囲内に設置された27 を超える重工業施設に取り囲まれている。地域住民の半数近くが貧困ラインを下回る暮らしをしているうえ、珍しいがんや呼吸器系の病気にかかる住民も多数いるというのに、援助の手が差し伸べられることはなく、地域社会が自ら助けを求めて動くしかなかった。結局、彼らはミシガン大学のポール・モハイ教授の助けを借りて、大気・水・土壌の汚染物質による長年の累積的影響を測る環境影響評価を自ら行った。州政府も連邦政府も、そのような手続きを率先して行う義務がなかったからである。
2019 年、モハイ教授と同地区の支援者たちは、累積的影響を環境評価に含めない現状のやり方が地域住民の健康にどのような結果をもたらすかについて、アメリカの議会で証言した。そして2020 年、近くの精錬所が有害な排気を大気中に放出したことに対応して、州当局は地区内の小学校に空気清浄機を設置するための費用を住民たちに支払った。
❸時代遅れの監視・執行制度
環境および公衆衛生を規制する手続きや政策、法律の多くは、誕生してから40 ~ 50 年経っている。インターネットさえ存在しなかった時代の歴史的遺物なのだ。最近は、より広範囲で監視対象を絞り込んだモニタリングをしたり、微小粒子状物質(PM2.5)や揮発性有機化合物(VOC)など新種の汚染物質の計測・分析をしたりすることも可能になっているが、骨董品のような政策や法律はこうした新技術にも対応できていない。国レベルでも州レベルでも、規制当局は総合的な環境モニタリングをする仕組みを持っておらず、人・モノ・カネも足りていない。連邦政府は、州や地方自治体のものと合わせて、ざっと3900 台の大気汚染観測装置による監視網を所有している。1台の観測装置でおよそ1000 平方マイル(約2600 平方キロメートル)を監視している計算になる。しかも、連邦政府が配置する観測装置の数は減り続けている。なかには、まともに使われていないものや、きちんとメンテナンスされていないものもある。
微小粒子状物質による大気汚染は心疾患や呼吸器系疾患の主要な原因となり、新型コロナウイルス感染症のリスク要因でもあるが、連邦EPAによる微小粒子状物質の監視が行われていない地域に住むアメリカ人の数はおよそ1億2000 万人になる。政府の監視網は、過去10 年で起きた10 大製油所爆発事故のいずれについても、それによって生じるリスクを検知して規制当局に通報することができなかった。住民から異変が報告された場合でさえ、適切な観測装置と専門調査員が派遣されることはほとんどない。多くの規制は守られておらず、義務である汚染軽減措置も往々にして有名無実化している。
公衆衛生・環境活動家は、規制当局が苦情が殺到してからやっと動き出す頃には相当の被害が発生してしまっていると批判する。新しい建設計画が持ち上がった場合も、パブリックコメント(意見募集)の機会は遅めに設定されることが多く、一般市民の意見を反映する手続きは複雑すぎて実行不可能なケースが目立つ。また多くの場合、問題の深刻さを記録・証明するために専門知識を駆使して証拠を集めることが求められるが、地域住民はそのための手段や能力をほとんど持たない。連邦EPAや州レベルの健康・環境問題担当当局が調査に乗り出すまで何年もかかる場合もあり、当局が問題を認めて計測を始めるまで、さらに数年を要することもある。その間、地域住民はずっと汚染物質にさらされたままだ。
飲料水が決められた複数の水質基準を満たしていない状態なのに、連邦政府にも地域住民にも報告しない州がたくさんある。政府の定める衛生基準を満たしていない水道水を利用しているアメリカ人は、少なく見積もっても2500 万人はいる。また、石油・ガス産業は、大気や水の汚染防止や飲料水の安全を定めた法律の一部条項について、適用除外されている。このようにいくつもの不備があるため、政府と企業が現在使っているデータ収集とモデル化のやり方では、最終的に描かれる全体像が現実の環境リスク、健康リスクを正しく反映しておらず、間違った結論が導かれかねない。また、さまざまなスクリーニングやマッピングのツール類が使用可能であっても、そうしたツールから得られる情報を規制執行や汚染物質削減の手続きにきちんと組み込むための仕組みを持たない規制当局が多い。仮にそうした情報が利用されるとしても、特殊な個別案件として扱われるケースが主で、法廷での証拠能力を持たないことが大半だ。
❹学界での軽視
一般市民のニーズを満たし、公正性や社会正義の実現に向かう科学を目指すことよりも、学術誌への論文掲載と研究予算の確保を重要視するような風潮が学界にはある。コミュニティ科学の推進派はこのことを身をもって味わってきた。コミュニティ主導型科学に取り組んでも、学位やテニュア(終身在職権)の取得には役立たないだろうし、若い科学者にとっては学界でのキャリアにマイナスになりかねない。
メリーランド大学の「コミュニティエンゲージメント・環境正義・保健センター(CEEJH)」のディレクターであり、EPAの科学諮問委員会の新委員にも選出されたサコビー・ウィルソンは、学界における最も熱心なコミュニティ科学推進派の1 人だ。CEEJHが2021年8月に開催した環境正義と健康格差に関するシンポジウムで、彼はアメリカの学界で行われている科学は、あまりに多くが「いいとこ取り」であり、さっと舞い降りて必要なものだけ入手して去っていく「ヘリコプター科学」であると指摘した。「あなたたちは人々の痛みや苦悶を調査し、彼らが毒に侵された状況を調べる。しかしそれでは十分とはいえない」とウィルソンは訴えた。
「我々は集めたデータを、その地域社会のための行動へと転換していくため、いったい何をしてきただろうか?」
CEEJHのような機関は、科学的研究の資金は確保できるものの、科学の恩恵を十分に受けていない地域社会で自分たちの科学を役立てるための支援が得られず苦労している。政府や民間の学術研究助成金は多くの場合、科学を市民活動に結びつけるような仕組みになっておらず、コミュニティ科学はいつまでたっても資金循環の流れに組み込まれないまま放置されている。
ムーブメントの台頭
何十年も前から一般市民はコミュニティ主導型科学を希求してきた。黎明期のコミュニティ科学に強い影響を与えたあるプロジェクトを紹介しよう。1990 年代半ば、ノースカロライナ州の町メバネでの話だ。
アメリカ南部の町ではよくあることだが、メバネでも黒人が過半数を占める地区は、上下水道を含む最低限の生活環境サービスさえ行き届いていなかった。それは南部のいくつかの州でいまだに残っている「域外管轄権」と呼ばれる慣行のためだ。町の行政は「域外管轄権」を使って、黒人もしくは先住民が過半数を占める地区がぎりぎり町の外側になるよう、町の境界線を設定するのだ。そうすることで意図的にマイノリティ集団から投票権を剥奪できる。町は彼らに最低限の行政サービスを提供する義務を免除される一方で、区域指定と土地規制の権限は持ち続けるのだ。
メバネの黒人地区や先住民地区では、浄化槽がないために生じたバクテリアと、近くの工場から漏れ出した化学物質により、地表水と井戸水が汚染された。さらに1994 年、ノースカロライナ州交通局は、黒人地区や先住民地区の中心部を通る8レーンの州間バイパス高速道路の建設計画を発表した。連邦政府も出資するこの道路整備計画によって歴史ある黒人教会や家屋、墓地などが取り壊されようとしていた。彼らは不満を訴えたが、州や町の当局は聞く耳を持たなかった。そこで、1994 年後半になって4組の黒人カップルが非営利の「西端地区再活性化協会(West End Revitalization Association, WERA)」を結成し、高速道路の建設と公衆衛生インフラの欠如により地域社会が被るであろう被害を調査・記録して法的救済を求める活動を始めた。1999 年、WERAは連邦政府がこの道路に出資する事実を利用して、司法省に行政不服審査の訴えを起こす。市民権の侵害および公衆衛生上の違反行為が多数あることを示して、高速道路の建設に反対したのである。
WERAは当初、水質汚染と土壌汚染の証拠を集めて記録するために大学の研究者とパートナーシップを結ぼうとしたが、最初に大学研究者側が提案した「コミュニティを基盤とする参加型研究(communitybased participatory research, CBPR)」という研究手法だと、結果として研究論文は書けるだろうが、WERAの求める是正措置にはつながらないだろうと考えた。そこで彼らは自分たちの狙いにぴたりと合った独自の研究手法を編み出そうと決め、その手法を「コミュニティが所有・運営する研究(communityowned and managed research, COMR)」と名付けた。これは、地域住民が主たる調査研究の担い手となり、研究プロセスを管理運営し、科学的データの所有権も手放さず、政府や民間の研究助成金も自分たちで直接受け取るというやり方だ。
WERAという組織の立場で考えれば、「科学」は歴史的な人種差別に根差した区画の線引きや許認可プロセス、規制制度のあり方を正すという大きな目的のための手段であり、法的救済につなげることが重要だった。行動につなげられない研究は何の役にも立たない。そこで、COMRという研究手法を使うことに同意してくれた大学や弁護士、その他の人々とパートナーシップを結んだ。このような提携関係も、コミュニティ主導型科学の1つの特徴である。
WERAが実際にCOMRという研究手法を実践するための人材育成と資金集めには何年もかかった。だが、最終的にWERAの働きかけで100 世帯近くに上下水道を引くための政府の包括的補助金を獲得することができた。とはいえ、黒人および先住民の大半は、いまだに生活に直結する行政サービスを町から受けられずにいる。こうした地域住民の取り組みが実を結ぶまで15 年から20 年かかるのも珍しくはない。
その一因として、WERAのような環境正義団体の資金難がある。ニュースクール大学の2020 年の研究によれば、アメリカ中西部およびメキシコ湾に面した南部地域のすべての環境助成金のうち、環境正義団体に助成されたのはわずか1%程度に過ぎないという。
こうした問題はあるものの、近年はネットワークづくりが容易になったことや新技術のおかげで、科学者と地域住民との協業が以前より簡単かつ低予算で可能になり、州や政府が集めるデータと同等かそれ以上のデータを収集できている。この10 年で市民科学は高等教育にしっかりと根を下ろし、専門の教授ポストや学術センター、研究所なども生まれた。北米、欧州、オーストラリア、アジア、南米などで何千人もの科学者や科学の実践者たちが市民科学の組織に加わり、科学を実践するコミュニティを育ててきた。アメリカの議会は、政府機関により多くの市民科学とクラウドソーシングを業務に取り入れることを促す法律を可決した。2018 年の時点で少なくとも14 の政府機関が市民科学やコミュニティ科学の活動に参加している。現在はさらに多くの人々が政府を中心とするこうしたコミュニティに関わるようになり、市民科学とコミュニティ科学という2つの新分野でベストプラクティスを共有し、専門的な研究を進めている。
ドナルド・トランプ大統領の時代には、極めて多くの分野で科学的調査の妥当性に疑問符が突きつけられた。科学に対するむき出しの敵意がこの時代の1つの特徴だ。駆け出しの科学者やSTEM(科学・技術・工学・数学)の学生たちは、研究室での科学と社会における実践が分断されている様子を目の当たりにし、次第に不満を募らせていった。彼らは政策策定や意思決定のプロセスでいかに科学が軽んじられているかを、会議や集会、またソーシャルメディア上で指摘した。この時期に人種的正義、社会正義、環境正義を求める運動が盛り上がったことで、新米科学者やSTEMの学生たちは、自分の実践する科学に自分の価値観もきちんと反映されているのかどうか自問することになった。彼らはまた、有色人種の間にも科学不信があることに気づいた。多くの研究者が、病気の調査などで有色人種の被験者をモルモットのように扱ったからだ。彼らの生体材料を勝手に別の研究に使い、研究結果から得られた新発見で利益を得ながらも、その有色人種のコミュニティには何ひとつ還元せずに放置したのだ。
トランプ政権が科学を目の敵にしたため、アメリカのコミュニティ科学が目立たぬよう活動を展開していたのに対し、欧州はコミュニティ科学の動きを歓迎し、後押しした。EU(欧州連合)は2013 年、科学研究における欧州の世界的競争力を高めるため、「ホライズン2020」という数十億ドル規模の助成の枠組みをつくり、研究およびイノベーションの促進に充てると決めた。EUはこのうち6億ドル近くを「社会とともにある、社会のための科学」分野に振り向け、一般市民の科学への関与を支援した。
コミュニティ主導型科学が盛り上がるにつれ、その動きは科学の主流にも影響を与えるようになってきている。地球と宇宙を研究するアメリカ最大の学術団体アメリカ地球物理学連合(AGU)は、コミュニティ主導型科学を支援することがAGUの大きな組織目標に近づくことにもなると気づいた。というのも、AGUは他の学術団体と同じく、会員たちから社会正義や不平等の問題に対処するよう求められていたからだ。メンバーの人種構成が多様性に欠けることも批判の的だった。STEM関係のあらゆる学術分野のなかで、地球科学は最も人種多様性に乏しく、しかも40 年以上にわたりまったく改善されていない。2016 年時点で、地球科学の博士号所持者のうち「低代表マイノリティ」(社会全体の人口構成に比べて、特定集団内で人数が過度に少ない人種)に属する人はわずか6%だ。有色人種のコミュニティは気候変動により極めて大きな影響を受けるというのに、地球科学の研究に携わる人々のうち有色人種の割合は8%に過ぎない。
AGU のリーダーたちは、こうした地球科学の文化ややり方を変えていくと公約している。AGU の前会長ロビン・ベルは、2020 年の総会で学会員に向けて、そのような変化を起こすことはできると述べた。「科学者が環境正義につながる仕事をしたり、そのお手本を自ら示したり、組織的支援の道筋をつけたりする実例やベストプラクティス」を見れば、より多くの科学者がその重要性を知り、自分の仕事に環境正義を取り入れる方法を理解できるようになる、と。
地域社会と科学者をつなぐ「TEXメソッド」
そのような戦略の一環として、AGUはコミュニティ主導型科学に人・モノ・カネを投資してきた。2013年以来、AGUのプログラム「スライビング・アース・エクスチェンジ(TEX)」は、環境正義に関する調査研究など、科学者がコミュニティ科学について知り、関わりを持つための場として役立っている。TEXはコミュニティ主導型科学を実践するための方法論やルールを開発し、アメリカを含む世界各国の150 を超える地域で実践してきた。
ほとんどの科学者は地域住民と協力して科学を行う方法を学んだことがなく、どこから手をつけたらいいのかさえわからないため、両者が協働して知識を共創する作業は困難を伴う。TEXやCOMRやその他のコミュニティ科学の推進団体はそうした問題を乗り越えるための新しい実践方法を編み出しつつある。たとえば「TEX メソッド」では、地域住民と科学者が協働する際に起きそうな意見対立をあらかじめ予測し、決裂させないための方法を用意している。双方が、非現実的な期待をせず、失敗からうまく立ち直り、挫折や後退に立ち向かい、問題発生を予期し、意見の不一致があっても感情的にならないための方法を学ぶのだ。こうしてTEXは、地域住民と科学者のパートナーシップが次第に進化するなかでその関係をうまく維持していくための支援を行い、結果として両者間の信頼を深め、目標を共有して一緒に問題を解決する関係を育て、それが関係の強化に寄与している。
「TEX メソッド」は地球科学の分野を対象にしたものだが、そのなかで用いられる「4 つのフェーズ」、すなわち、①カバー範囲を決める ②マッチング ③問題解決 ④共有、の考え方は、他のコミュニティ主導型の科学的調査にも当てはめることができる。順番に見ていこう。
フェーズ❶:カバー範囲を決める
科学的な調査研究プロジェクトが成功するかどうかを決めるのは、その調査のパラメータ(外部条件)である。TEXは、調査に協力してほしいという要請を地域住民の側が最初に起こすことを条件にしている。そして、科学者1人につきコミュニティのリーダーが少なくとも2 人、6 ~ 12 カ月にわたってその科学者と協働することが重要で、そのプロジェクトが地域住民の求めるものであり、コミュニティにとって優先度の高いものであることを確認するため、リーダーたちはデューデリジェンス(調査)を実施しなければならない。環境問題は複雑で、単純明快な解決策が存在することは滅多にないため、地域住民自身が何を望んでいるのか混乱していることもあるし、優先事項が複数ある場合もある。コミュニティにプロジェクトの資金がないケースもあるだろう。また、たとえば仕事を失う恐れなどから、環境問題を引き起こしている施設の閉鎖を住民たちが必ずしも歓迎するとは限らない。こうした予期せぬ事態にも対応できるよう、TEX 側はコミュニティのリーダーに対し、上記の諸問題を網羅した「プロジェクト内容確認調査票」に回答するよう求め、地域住民が科学的調査に何を求めているのかを明確にしている。
一方、TEXのスタッフとボランティア協力者(その一部は科学者)はプロジェクトマネジャーを務める。彼らは科学者と地域住民が実りあるパートナーシップを築いてその関係を維持できるよう、そしてプロジェクトが進んでも集中力を途切れさせないよう、コーチ役を務める。さらにプロジェクトマネジャーは、プロジェクトのカバー範囲を決める前にまずは地域住民と話し合い、彼らの抱える問題やコミュニティにおける物事の進め方について理解を深める。そのうえで、暫定的なプロジェクト概要を作成する。
このフェーズで、プロジェクトマネジャーと地域住民とで行動原則やチーム間の対話における基本ルールを明文化しておく。また、プロジェクト参加者のさまざまな立場ごとに、その役割と責任も明文化しておく。こうした文書は問題が起きた際の判断基準になるからだ。科学的調査のカバー範囲を管理可能な部分だけに制限しておくことは、プロジェクトの成果に非現実的な期待を抱かないという点で役に立つ。TEXは地域住民に対し、小さく始めること、過剰な期待を抱かないこと、ベンチマークで進捗度合いを見ながら作業を進めることを推奨している。
フェーズ❷:マッチング
プロジェクトのカバー範囲が決まったら、プロジェクトマネジャーはAGUのデータベースや関係者のネットワークを使って協力してくれそうな科学者を探し始める。プロジェクトのカバー範囲が大きければ、複数人の科学者が必要となる場合もある。プロジェクトマネジャーは候補者を精査し、関係者への人物照会(リファレンスチェック)を行い、候補者リストを作成して地域住民側に渡す。リスト内のどの科学者と協働したいかは地域住民が決める。コミュニティと科学者との間でマッチングが成立し、その科学者がプロジェクトに参加する準備が整ったら、次にプロジェクトチームとその科学者とでプロジェクトの内容をさらに細かく詰めてデータの使用目的や共有方法を決める。TEXはコミュニティのリーダーと科学者の両方に対し、コミュニティ科学の実践に関わるリスクの概略を記した文書と、科学的公正さ・厳密さを守るという宣誓書にそれぞれ署名するよう求める。
その後、コミュニティのリーダーと科学者は週1回のペースで話し合いを行う。オンラインでのリモート会談になることが多い。プロジェクトの初期段階では深く関わっていたプロジェクトマネジャーも、次第に関与の度合いを薄めていき、地域住民と科学者とのパートナーシップが確立された段階でプロジェクトにおける役割を終了する。
このマッチング作業で、科学者とコミュニティの間には方向性が共有されるが、それでも意見の相違や対立が起こる可能性は残る。TEX メソッドは両者の対立をゼロにすることを目指してはいない。むしろ、対立が起きることは織り込み済みだ。プロジェクトマネジャーは科学者とコミュニティリーダーのチームに対し、最悪のシナリオを想定した問題解決の練習を通して、どのようにそれに対処するか考えておくよう推奨する。TEXは半ダース程度の実行可能な解決策を事前に考え出しておくことを勧めている。その際、プロジェクトマネジャーは頻繁にプロジェクト計画を参照する。解決策が既に定めたプロジェクトのカバー範囲と矛盾しないよう確認するためだ。カバー範囲の変更が必要であり、関係者全員の同意が得られるなら、カバー範囲の変更もありうる。
フェーズ❸:問題解決
TEXプロジェクトの実際の調査が行われ、結果が出るまでがフェーズ3である。調査がうまくいった場合、その結果は地域住民が彼らの問題をより良く理解するための一助となり、彼らが集めた証拠は問題解決への道筋を考えるのに役立つはずだ。とはいえ、コミュニティ側は、調査結果が彼らの問題をすべて解決してくれるとは限らないこと、そして彼らの当初の想定や仮説を覆すような調査結果になる場合もあることを最初から理解しておく必要がある。そのようなケースでは柔軟に対応して軌道修正を前向きに受け入れることにより、「失敗」だと見なされかねない調査結果を「アジャイル開発」へと変えることもできる。地域住民と科学者がより実りある方向へとプロジェクトの舵を切り直すための知識として調査結果を利用するのである。
また、調査結果が新たな問題を提起する場合もある。TEXの調査プロジェクトの結果を受けて地域住民がそのプロジェクトのカバー範囲を超える新たな問題をさらに追究したいと望み、新しく追加プロジェクトが立ち上がったケースもある。
フェーズ❹:共有
最後のフェーズで、コミュニティは科学的調査の結果を他の人々にも広く伝える。コミュニティ内の住民、政治家、市民活動家などだ。これは、さらに大きな目標に近づくためである。調査結果を市民活動へとつなげる段階は、プロジェクトを通して最も難しい部分になるかもしれない。
以下、最近のTEXプロジェクトを2 つ、ケーススタディとして紹介する。これらは実際のTEX メソッドがどのようなものかを示すものだ。また、科学的調査というものがコミュニティの優先事項に基づいて具体化する様子と、それがイノベーションおよび市民活動につながる情報を提供する仕組みも説明している。
事例1:クレイボーン・アベニュー・アライアンス
2021 年3月、ジョー・バイデン大統領が発表したインフラ整備計画(インフラ投資法案)のなかで、黒人居住区を犠牲にすることで成り立ってきた州間高速道路システムにつきまとう歴史的不公正さの一例として、ニューオリンズの州間高速道路10 号線(I− 10)、通称「クレイボーン高速」が取り上げられた。ニューオリンズの高速道路は、かつて商業で賑わった3車線の目抜き通り、昔からある黒人居住区の文化の中心地でもあったクレイボーン・アベニューを分断するように建設された。数百本もの樫の大木が切り倒された後、行政の不作為による荒廃の時代が訪れた。
2018 年、クレイボーン高速の撤廃を求める地元住民と民間企業団体が手を組み、「クレイボーン・アベニュー・アライアンス(CAA)」が結成された。彼らは、クレイボーン・アベニューの再活性化のためニューオリンズ市が提案した6 つの再開発シナリオを検証するにあたり、科学者の手助けを必要としていた。6 つのシナリオのなかには、高速道路をそのまま維持する案もあれば、撤廃する案もあった。CAAとしては、データを集める必要があることはわかったものの、誰に助けを求めたらいいのか見当もつかなかったが、たまたまコミュニティのリーダーが友人から聞いてTEXの存在を知った。
同じ2018 年、TEXを通してCAAとルイジアナ州立大学(LSU)公衆衛生大学院のエイドリアン・カトナー教授とのマッチングが成立した。国立衛生研究所やルイジアナ州政府公衆衛生省で働き、環境問題が公衆衛生に与える影響を追跡調査する州の施策を指揮した経験もある人物だ。
CAAとカトナーは、クレイボーン高速の周辺地域がどのような状況にあるのか、正確な全体像を把握するための基礎調査を実施しなければ、市の再開発計画シナリオを評価することはできないという点で意見が一致した。そこで両者は、高速道路が近隣地域の環境と健康に及ぼしている影響を計測することにした。カトナーはLSUの学生たちとともに微小粒子状物質(PM2.5)と騒音の量を計測し、連邦政府と州政府のデータベースで健康および環境に関するデータを調べ、さまざまな汚染物質にどの程度さらされると危険があるのか、科学的文献を読み込んだ。彼らはさらに、クレイボーン高速周辺地域の郵便番号をもとに、近隣住民の健康状態の統計値をアメリカ全体および州全体の統計値と比較した。
プロジェクトが〈問題解決フェーズ〉に入ると、TEXのプロジェクトマネジャーであるサラ・ウィルキンスはLSUチームやCAAのリーダーたちと月1回のペースで連絡を取り合って活発な話し合いの音頭を取り、プロジェクトの方向がずれそうになったときには軌道修正も行った。LSUの最終報告書には、クレイボーン高速が近隣住民の生活に与える累積的影響についての健康影響評価が盛り込まれた。それによると、近隣住民の各種汚染物質への曝露レベルと、喘息・自閉症・心疾患・肺疾患・がん・妊娠合併症の発症率は、市や州や国の平均値をいずれも上回っていた。さらにLSUチームは、市の提案する再開発計画が地域住民の健康に与えるであろう影響を試算し、いくつかの再開発シナリオでは健康上の危険が増すだろうと結論した。これらの調査研究はすべて、科学者と学生とコミュニティリーダーが無償で行った。参加者はお互いの協力関係がうまくいったとし、成功の一因はオープンで明快なコミュニケーションにあったと述べた。
プロジェクトを〈共有フェーズ〉へと進めるため、CAAは地域住民との公開討論会を2019 年に開催し、報告書に盛り込まれた科学的発見について報告した。ニューオリンズのトレメ地区にある小学校の4年生たちは、TEXのパートナーである非営利団体パブリック・ラボの協力を得て、交通による汚染物質を観測・記録するための気象観測気球を打ち上げた。子どもたちはこの取り組みについての児童書を出版し、高速道路に対する自分たちの意見もそこに盛り込んだ。これは多くのマスコミに取り上げられる結果となった。プロジェクトに関わったある教師は、小学生に大気汚染のモニタリング方法や市民科学、市民参画について教えるための授業計画を作成した。
CAAの共同創業者、エイミー・ステリーによれば、〈共有フェーズ〉で最も難しい部分は、政策立案者にこの調査プロジェクトへの関心を持ってもらうことだ。ニューオリンズ市議会に最終報告書について議論するという約束を取り付けるまで1年かかったという。ステリーはルイジアナ州議会の議員代表団にも最終報告書を渡し、あちこちの会議で最終報告書の内容を発表し、連邦政府のインフラ整備計画でニューオリンズの高速道路の案件を取り上げるべきだと訴えるために調査結果を引き合いに出した。地元の有力者の多くは高速道路の撤廃に前向きではなかったが、米下院議員で下院運輸インフラ整備委員会の委員も務めるトロイ・カーターは撤去案を支持した。
課題は残るものの、TEXの調査プロジェクトは地域住民に重要な情報をもたらし、求めるアウトカム(成果)の測定基準も残してくれたとステリーは言う。その恩恵はニューオリンズを超えて広がっている。バイデン大統領のインフラ整備計画でクレイボーン高速が注目されて以降、高速道路が都市住民の健康を損なう恐れがあることを示す証拠として、他の都市でも市民活動家が地元の交通当局にLSUの最終報告書を渡しているのだ。高速道路撤去を求める活動家たちは、かつてのCAAと同じく、健康影響評価が彼らの主張の力強い武器になりうることをそれまで知らなかった。交通量の増加や過少投資、その他の社会経済的なマイナス効果には着目していても、一般市民の健康への影響を武器として使うことを想定していなかったのである。
事例2:オハイオリバーのシェール採掘
ケーススタディの2つ目はオハイオリバー・バレー西部の事例だ。
オハイオ州ベルモント郡は州内で最も水圧破砕法(フラッキング)による石油の掘削が盛んな地域で、600 を超えるフラッキング施設を擁する。地域住民は有毒な排出物についての苦情を州や連邦政府の環境局や保健局に幾度となく訴え、緊急の健康被害で救急車を呼ぶことさえあったが、何の対策もなされていない。そのうえ、プラスチック精製のためエタンクラッカーと呼ばれる巨大な化学工場を建設する計画があることもわかっており、これによって大量の汚染物質が新たに排出されることになるだろう。
ベルモント郡とその周辺には数多くの石油化学施設があるが、そこから排出される物質の累積的影響について、オハイオ州環境保護庁(OEPA)も連邦政府の環境保護庁(EPA)も調査・記録をしていない。この地域にはEPAの大気汚染監視装置がごく少数設置されているが、広い範囲をカバーさせることで意図的に汚染物質の観測数値を平均化している。このやり方では、空気の質が極めて悪い場所、すなわち汚染物質が集中して高濃度となるホットスポットを見逃す可能性がある。しかも、このわずかな数の大気汚染監視装置は、フラッキングで発生する総揮発性有機化合物(TVOC)についてはデータを収集しておらず、ガス圧縮施設などから時たま漏れたり排出される大量のTVOCについてモニターできていない。他の多くの州と同様に、OEPAも汚染物質漏洩などの事故については主に業者側の報告に頼っているため、そうした事故は見逃されるか報告すらされないことが多い。
この規制当局の欠陥を正そうと動いたのが、地域住民のグループ「オハイオリバーを憂う住民たち(CORR)」である。CORR がTEXについて知ったのは2018 年のことだ。ピッツバーグで開催されたコミュニティグループのための説明会に参加したことがきっかけだった。2019 年、CORR はTEXに連絡し、地域の大気汚染状況を分析したり大気モニタリングのための基準づくりをしたりするために、手を貸してくれる科学者を探していると伝えた。
その年、コロンビア大学の博士課程の学生で大気科学者のガリマ・ラヘージャがTEXコミュニティ科学フェローとしてCORRのプロジェクトに参加した。また、MIT(マサチューセッツ工科大学)博士課程の学生で大気科学者のエリザベス・フリースが、TEXによりマッチングされた研究者としてプロジェクトに加わった。2人は新型コロナウイルス感染症が大流行していた期間はオンラインでプロジェクトに関わった。
プロジェクトチームは、EPAとOEPAによるオハイオリバー・バレーの大気汚染モニタリング体制が不十分であるという問題提起を行うことにした。ラヘージャとフリースは、早い段階でベルモント郡の累積的排出量を突き止めていた。OEPA が行った個々の排出許可のすべてをダウンロードして分析することで、地域の総排出量を算出したのだ。
CORRには大気汚染物質に関するデータを収集・分析するための装置もなければ知識もなく、資金もなかった。だが、「アレゲニー地域住民のためのコミュニティ基金」からの助成金で低価格の大気観測装置を購入し、地元の科学者の協力を得て観測装置を各家庭に設置して微小粒子状物質(PM2.5)の濃度を記録できるようになった。TVOC計測用の低コスト観測装置を開発していたカーネギーメロン大学のクリエイト・ラボも、試作機をいくつか設置した。
TEX 経由でプロジェクトに参加した科学者たちは、新しく設置された観測装置から得られたデータと気象学上のデータやその他のデータセットを組み合わせ、複数のコンピュータ・モデルを作成した。その結果、オハイオリバー・バレーにおける汚染物質の移動経路や排出源について、より詳細な全体像が見えてきた。データは、あるガス圧縮ステーションと地下パイプラインの方角から汚染物質が飛来していることを示していた。さらに観測装置の記録から、突如として大量のTVOCが排出される瞬間が何度か発生していることも判明した。現在、フリースはこの大量排出の正確な場所を突き止めるための新たなコンピュータ・モデルを作成している。また、建設予定のエタンクラッカー工場からどんな種類のTVOCが排出されるかを予想し、それが大気にどんな影響を与えるのかを予測するモデルを作成中だ。
プロジェクトが〈共有フェーズ〉に入ると、CORRは地域住民のために2つのウェビナーを立ち上げ、ベルモント郡の大気汚染の広がりについて説明した。CORRのプロジェクトは大気観測を拡充し、この地域で大気浄化規制が遵守されているかどうかを評価し、クリエイト・ラボと共同で排出を可視化するという次の段階に向けて動き出している。CORRとTEXに協力した科学者たちは今後、調査結果を白書にまとめ、EPAに支援を要請し、自分たちのやり方とベストプラクティスを地域の他の活動家ネットワークにも伝えたいと考えている。
6つの教訓
2 つのケーススタディを通して、それぞれの状況におけるコミュニティ主導型科学の役立ち方、市民生活への影響について、どのようなことが明らかになっただろうか。コミュニティ科学の実践や支援に興味を持つ科学者、活動家、政策立案者、投資家は、上記のケーススタディからどのような教訓を学べるだろうか。
主として6 つの大きな学びが得られた。
1. 地域住民と科学者が効果的に協働できることがわかった。両者は優先課題も文化も知識基盤も異なるが、それでも両者が協力して正統な科学を実践することで、市民の意思決定に資する情報を得ることができる。
2. 地域住民は、自分たちの生活と市民としての活動に科学が役立つのであれば、基礎研究や健康影響評価などの科学を自ら実践したいと強く望むことがわかった。
3. 地域住民が科学を行うことを妨げる最大の障害は、資金不足と、科学に関する装置類やノウハウが入手困難なことである。
4. 2つのケーススタディは科学者が科学的公正さ・厳密さを曲げることなく地域住民の関心事項に従うことができることを証明した。何について調査研究するのかという点で科学者と地域住民がひとたび合意に至れば、科学者は最も厳格な職業倫理を保ちつつ調査を遂行できる。
5. 地域住民の大きな目標を後押しし、その目標を達成するための知識を充足するような科学を行った場合、地域住民の発言力が増し、望ましいアウトカムをもたらす政策を実施できる意思決定者への影響力が強まる。さらにコミュニティ科学は、科学者と地域住民が前向きな影響を与え合う機会を数多くつくり出し、科学者と一般市民の絆を深め、科学的手法に対する信頼感を育てる。
6. コミュニティ科学は科学的発見を促す。科学者は現実の問題に直面し、地域住民からフィードバックを得ることで、地域住民のニーズやコミュニティへの実装により適した調査研究をする方法を学び、創造的で学際的な問題解決を実践できるようになる。
コミュニティ主導型科学の今後
ここまで見てきたように、コミュニティ主導型科学が協働的な市民活動につながる大きな可能性を秘めていることがわかってきている。データのスクリーニングやマッピング、検出などのツール類を誰もが入手できるようになり、地域住民が地区ごとにデータを収集できるようになったことがコミュニティ主導型科学を後押しした。同時に、コミュニティ科学はこの一連の技術的イノベーションの原動力にもなっている。こうしたイノベーションは政府の貧弱なモニタリング制度という制約から地域住民を解き放ち、規制の遵守・執行のためのデータ収集方法に革命的変化をもたらす。
カリフォルニア州、ミシガン州、ノースカロライナ州、メリーランド州に加え、全米各地の複数の市町村は、環境正義のためのスクリーニングおよびマッピングのツールを開発中だ。このツールによって行政の持つデータと地域住民の収集したデータを重ね合わせ、周辺地域と比べて過大な負荷のかかっている地域をあぶり出そうとしている。バイデン政権も気候正義および環境正義のためのスクリーニングツールを新たに開発中だ。おそらく州や市町村ごとにツールを使って地域住民が収集したデータを活用することになるだろう。過度に負担のかかっている地域を見つけ出して投資をするための連邦政府機関の取り組みに、地域住民が価値ある情報を提供するのである。
こうしたツール類を開発する科学者は、市民の日常生活にコミュニティ科学をしっかりと根付かせることを望んでいる。民主党と共和党のどちらが大統領を輩出しようと、議会で多数派になろうと、市民たちがそれを使い続けられるように。
コミュニティ科学の推進派は、地域主導型の科学が行政の許認可や区画割り、法令の遵守・執行などの手続きのなかでより中心的な役割を果たすよう求めている。2020 年、環境問題やその法令執行に関わる人たちの非公式なネットワークである「環境法令の遵守と執行のための国際ネットワーク(INECE)」は、コミュニティ科学を政府機関の業務に取り入れていくために、政府機関がとるべきステップについて検討した。具体的には、法令および手続きのアップデートや、地域住民の集めるデータが政策立案や法令化により多く利用されるようにするためのデータ収集基準の作成などだ。
一部の州は既に、地域住民が水質モニタリングをするための指標を制定している。カリフォルニア州は、大気汚染が特に深刻な地域の汚染軽減に向けた新政策の一環として、低価格のセンサーで大気汚染を観測できるよう助成金を整備し、観測結果を州の行動計画に反映するよう定めた州法を新たに制定した。
学界では、コミュニティ科学を1 つの学問分野として確立しようと学者たちが動いている。さまざまな規模の自治体においてコミュニティ科学がどのように役立つのか、地域住民向けの実践講座や認証プロセス、キャリアパス、資金調達方法(地域の優先課題が変更されることも考慮に入れた方法)などを組み合わせ、理論モデルと実践モデルの両方から探ろうという学問分野である。AGUは4つの科学団体と、学術出版社のワイリーと一緒に、コミュニティ科学に特化した査読付き学術誌を立ち上げ、この学問分野のポータルにしようとしている。さらに一部の学者は、基礎科学と応用科学との橋渡しをする「全米応用科学財団」を新たに創設すべきだと主張している。科学研究に対する現時点で最大の資金提供者である全米科学財団と国立衛生研究所と共に資金援助を行うのが、新財団の役割だ。
行動を起こさなければそのツケはいずれ回ってくる。政府の行う科学が、今後も地域住民の独自調査による科学的証拠を無視・反駁し続けるようであれば、政府主導の科学に対する一般市民の不信感は増すばかりだろう。学問至上主義的で実践を軽視する「アカデミズム科学」が地域住民のニーズと切り離されたままでいるなら、一般市民と科学者の距離はますます広がり、科学的研究に資金を投じることに対する世間の風当たりは増すだろう。
新世代の科学者と市民活動家たちは、科学をより民主的で公益性があり、公正で正義を指向するものにしていくのは自分たちの責務だと考えている。それは「科学はいったい誰のためにあるのか、何のためにあるのか?」と科学に懐疑的な目を向ける一般市民に対する答えとなりうる。
ルイーズ・リーフ
コンサルタント。市民参加や協働を重視するフィランソロピーやメディア、非営利団体に助言。シンクタンクのウィルソン・センターで公共政策の研究者として「科学技術イノベーション・プログラム」や「環境変化・安全プログラム」に関わったり、アメリカン大学コミュニケーション大学院の調査報道ワークショップに住民研究者として参加した経験もある。
【翻訳】倉田幸信
【原題】The Promise of Community-Driven Science(Stanford Social Innovation Review, Winter 2022)
【写真】Ted Auch, FracTracker Alliance, 2020.
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翻訳者
- 倉田幸信