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沖縄への基地と貧困の集中は現代における植民地主義の残滓である

沖縄への基地と貧困の集中は現代における植民地主義の残滓である

沖縄の米軍基地問題はしばしば安全保障や地域経済の問題とすり替えて論じられる。しかしその本質は、沖縄と本土の権力関係が生んだ構造的差別である。差別是正のための法的根拠および民主的実践とは。

安里長従 Nagatsugu Asato
志賀信夫 Nobuo Shiga

この記事は、Stanford Social Innovation Review のグローバルパートナーシップにより制作された、エクイティの推進をテーマとする連載の一部です。この連載では、7つの国・地域の文脈における構造的差別や不正義を乗り越え、より公正で包摂的な社会を目指す取り組みを紹介しています。

日本における構造的差別

植民地主義の遺産は、世界のあらゆるところで構造的差別の温床となり、疎外と貧困のサイクルを生み出している。日本においてそれが最も顕著にみられるのが沖縄だ。日本の47都道府県において生活保護基準以下の世帯割合は全国平均の2倍以上、失業率および非正規雇用率、一人親家庭比率も全国最高レベル、一方で大学進学率は最低である。沖縄の深刻な貧困の背後には、アメリカ軍用施設面積の70%以上が沖縄に集中していることに代表されるような事実がある(沖縄の面積は日本全土の0.6%)。

沖縄県への基地の集中に対しては、安全保障戦略上仕方がない、国から経済的支援を得るために沖縄には軍用施設が必要、といった説明がなされてきた。また、貧困の集中に関しては、地縁血縁を中心とする文化・人々の性質などに原因があるとされる傾向にある。しかし、これらの諸言説はいずれも問題の本質から目をそらし、現象部分だけをとらえた思い込みである。私たちの主張は、貧困と軍用施設の集中は、現代的な植民地主義、つまり沖縄と本土(沖縄以外の日本)の権力関係が生んだ構造的不平等の結果であるというものだ。

本稿では「構造的差別」を以下のように定義する。

「差別」とは、特定の人びとに対して、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における不利をその対象に強制し、特にその対象となる人びとの選択肢を制限、あるいは剥奪することを正当化する機能をもった不合理な区別である。そしてこのような不合理な区別が、社会の仕組みとして取り込まれ(あらゆる社会関係が当たり前のもの、ありふれたものとなっている)、無意識に繰り返し維持・再生産されたものが「構造的差別」である。

構造的差別の是正には、特有の困難さがある。この困難さの1つは、差別が日常生活に溶け込んでおり、「自然化」させられているところにある。構造的差別の認識が困難であることによって生じるさらなる問題は、「善意による差別」の消極的な追認である。日本本土と異なる固有の歴史や文化に焦点を当て、美しい自然、助け合い精神、人情と癒し、独特の芸能文化、長寿食などを持ち上げ、消費することによって、沖縄の人々への構造的差別を隠蔽してきたのである。こうした視点は、沖縄の貧困問題を現地の人と価値観や行動様式と貧困を無意識に結び付けることに加担してきた。

あらゆる構造的差別において、構造のなかにいる人間はそれを認識することが困難であるように、多くの日本人は、沖縄に対する構造的差別を認識できないでいる。本稿では沖縄の貧困問題と基地問題の一体的解決の第一歩として、この当たり前のように自然化された差別の構造について明らかにし、これを是正するための憲法の役割について「自由の平等」という観点から論じ、また、構造的差別を市民が積極的に是正していくための実践について提案する。

歴史的経緯

 沖縄の構造的差別は歴史的な背景がある。日本による沖縄の実質的な植民地化とその後の沖縄の人々の「手段化」によって本土(沖縄以外の日本)と沖縄の権力構造が固定されていった。

  • 沖縄はかつて「琉球」という独立した国家であった。しかし、1609年の薩摩侵攻を契機として、1879年に日本は沖縄を強制的に併合した。
  • 沖縄の「手段化」は、第二次世界大戦末期に最も先鋭化した。1945年、沖縄は「本土防衛の捨て石」として本土防衛のための時間稼ぎに利用された。沖縄戦では、スパイ容疑による住民殺害、強制集団死、食糧強奪、壕追い出しなどの凄まじい事件が各地で生じた。
  • 敗戦後に制定された日本国憲法の「戦争放棄」を明記した第9条は、アメリカが対アジア軍事戦略を実行するために、沖縄を軍事要塞化することと引き換えに成立した。
  • アメリカによる沖縄の占領は1972年まで続いた。アメリカは沖縄を形式的に日本に返還することで、財政負担なしに軍用施設を使えるようになっただけでなく、国際世論における植民地主義批判も回避した。
  • 日本政府は沖縄を日米安保条約の安定的維持装置として位置づけながら民族主義的、平和主義的な社会運動の拡大を抑えることにつながった。
  • 沖縄の日本復帰後も、日米地位協定(U.S. – Japan Status of Forces Agreement, SOFA在日米軍とその関連施設、人員の地位を定める日本とアメリカの間の協定)により米軍による事件・事故が生じても、その加害者となった米軍人が公務中の事件であれば日本には捜査権限がない。このような状況に対して沖縄県内外から日米地位協定の抜本的な改定を継続的に求める声が上がっているが、半世紀以上改定されていない。
  • 日本の歴代防衛大臣たちは「軍事的には(アメリカ軍施設の設置は)沖縄でなくてもいい」ことを認めているが、「本土の理解が得られないから沖縄」という不合理な理由によってアメリカ軍普天間基地の代替施設が同じ沖縄の辺野古に建設することを決定、その後2009年に当時の総理大臣が県外移設に言及するも翌年撤回。
  • 2019年2月には県民投票において7割以上の反対の意思表示が示され、その後も継続的に市民が反対の意思を示している。

このように、沖縄に基地が集中しているのは、沖縄が「手段」として扱われてきた歴史の結果である。沖縄の手段化を正当化するための差別によって、沖縄の人びとの「福祉(well-being)」は長らく軽視されてきた。沖縄における貧困の深刻さの原因についても、こうした差別と手段化の歴史にみいだすことができる。

  • 第二次世界大戦末期の沖縄地上戦によって沖縄の鉄道は徹底的に破壊され、戦戦後はアメリカによる軍事目的中心の道路づくりがなされ、農作物生産のための土地もアメリカ軍によって強制的に接収された。
  • 1945年の終戦から1972年まで、沖縄はアメリカの統治下におかれていたために、経済発展の基礎となる資本投下がなされず、社会生活や産業発展のための基盤整備がなされなかった。
  • 1972年に施行された沖縄振興開発特別措置法の主目的は、本土とのあいだにある格差是正であるとされていたが、結果としてこの法律に基いて施行された公共事業費の半分程度は、沖縄県外の大手ゼネコンや共同企業体を通して本土に還流する仕組みがつくられた。

沖縄における貧困の深刻さは、政府の都合や本土資本にとって「売れるもの」の生産を強制的に優先させられてきたことに原因がある。別の表現をするならば、沖縄の人びとは、自らの生活にとって「必要なもの」を生産するための諸条件の整備を劣後させられてきたのである。沖縄は自己決定をたえず阻害されてきたということでもある。

これは世界中でみられる植民地の形式的な政治的独立が経済的従属からの脱却を意味しないということと同じである。

エクイティとの関係

沖縄における貧困問題の深刻さは、沖縄の人びとの生活様式や思考様式に原因があるわけではなく、歴史過程において強制されてきた権力構造(本土優先・沖縄劣後という社会構造)にその原因がある。私たちがこのように強調するのは、いわゆる「沖縄文化論」と言われる沖縄の基地問題や貧困問題をめぐる諸言説には社会構造を看過したものがあまりに多く、そのことによって自己責任論が助長され、ときに差別すらも拡大再生産されているという現実をみてきたからである。

それはたとえば、ハーバード大学ロースクール教授マーク・ラムザイヤーの論文「アンダークラス監視論――被差別部落出身者・在日コリアン・沖縄人の事例を踏まえて」(2020) に象徴的にあらわれている(1)。同論文は日本のマイノリティである在日韓国人、被差別部落の人たち、沖縄の人たちが人権侵害の救済や解決解決を求めることを「政府から補助金を引き出すため」と断じる一方で、貧困を放置し、教育の程度が低く、離婚率が高く、婚外子が多いなど沖縄の人びとの文化的特殊性に還元するような議論を展開している。大きな論争を巻き起こした同教授の慰安婦強制連行をめぐる論文(2021)に比べて本論文は本土では大きくとりあげられることはなかったが、沖縄の地方紙などはこれを深刻なレイシズム論であると報じた。私たちもこれは「新しいレイシズム」の一形態である「文化的レイシズム(文化、言語、宗教、伝統、習俗などにおける支配集団との差異を根拠にした差別)」の典型と考える。

「本土優先・沖縄劣後」という構造的差別が文化的レイシズムに基づく自己責任論によって正当化されることで沖縄問題の根底にある「自由の不平等」が固定化されてきた。

前述の歴史的な経緯によって、本土が一方的に自由を独占し、沖縄は自己決定の自由を剥奪された。沖縄における米軍用施設と貧困の集中はその結果である。

これらの目に見える問題は、差別という目に見えない不正義を是正することなしに解決されないと私たちは考える。

解決策の提案

通常差別は積極的な作為によりなされるが、構造的差別は、是正をしない(されない)という不作為により実行・再生産されるものである。したがって構造的差別の是正は、これを積極的に是正する取り組み(ファーマティブ・アクション)を具体化し実施することが必要となる。

日本国憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めている。これは、歴史的に従属的(手段的)地位に置かれたある属性の集団が差別によって社会的に排除される事態は、そもそも是正されるべきことを要請していると読むのが自然である。

しかし、日本の憲法学者や法律家の多くは、同条1項を、平等「権」ではなく、平等「原則」と解釈してきた。つまり、平等の侵害というのは個別具体的な権利の侵害を主張すればよく、これに追加して「平等権」の侵害を主張する必要はないというものである。しかし「本土の理解が得られないから」と沖縄にのみ米軍用施設の負担を押しつけることは、個別具体的な権利侵害が発生する以前の市民としての地位(シチズンシップ)の否定であり、平等権の侵害を主張しない限り、権力関係や社会構造の是正には踏み込めない。

奴隷制やジム・クロウ法が廃止された後も社会の様々な領域で人種差別が構造的に存在し、人種的マイノリティの社会的地位が依然として低位に置かれているアメリカ合衆国において「反従属原理」(anti-subordination principle)が提唱されているように、日本の憲法14条1項も、集団の市民的地位の平等化の実現を志向する具体的義務規範を定めた構造的平等の是正を求めるものとして、平等「原則」から平等「権」へと、積極的な解釈に転換すべきである。

沖縄への基地の集中を解決するために、私たちは以下のとおり提案する。これは国際人権法、先住民族権利宣言、そして国連の日本政府に対する度重なる沖縄の処遇の改善を求める勧告にも適合的な提案である。

  1. 政府による米軍普天間基地の辺野古移設という決定は、憲法14条1項前段が禁止する差別(合理的根拠に欠ける区別)であることを明らかにすること
  2. 同項後段の差別抑制の要請、及び積極的に差別を是正する取り組み(アファーマティブ・アクション)を具体化し実施すること。そのための沖縄の軍用施設負担軽減を最終的に国が責任をもって行うための「沖縄基地縮小促進法(仮称)」を制定すること

日本国憲法第9条では戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を規定していることから「平和憲法」といわれる。しかし、差別や抑圧、疎外、貧困をはじめあらゆる暴力がない状態を指す「積極的平和」の達成には、9条だけでは不十分で、憲法14条の「平等権」の保障による下支えが必要不可欠である。これが私たちの考える「平等憲法」というアプローチである。

平等憲法のアプローチに依拠すると、沖縄の日本「復帰」の際に、当時の屋良朝苗主席が日本政府に「建議書」で求めた「県民の福祉」を最優先とする理念に必然的に立ち返ることになる。なお、ここでいう「福祉」とは、「すべての市民」に「幸福」を追求する最低限の「自由」を保障していこうという「理念」を指す。

上記の2つの提案に加えて、これまで本土復帰後、沖縄の社会を形作ってきた沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興(開発)体制の見直しも提案したい。

沖縄振興計画は、県ではなく国が計画の「基本方針」を策定することになっている。つまり沖縄の自治や自己決定は、政府側のパターナリズムの枠内に制限されているのである。同法は実質的には日米安保体制の維持装置として沖縄の自由を統制するための機能を果たし、差別を助長してきた。

日本憲法95条では、特定の自治体の自治権を制限する法律制定には当該自治体の住民投票による同意が必要と定められているが、沖縄振興特別措置法は「自治を制限していない」という理由で実施されていない。沖縄振興特別措置法は期限立法で、10年ごとに延長がなされており、その単純延長に関する否定的意見も識者からは聞かれるようになってきたが、国からの予算が削られる懸念から、県知事がその廃止を要請するのは容易ではない。実際にその是非を決めるのは、一部の識者でも、県知事でも県議会でもない。沖縄県民自身である。現行の沖縄振興特別措置法の期限は2032年3月31日である。その先の未来に向けて、沖縄県民自身が「延長」「廃止」あるいは第三の道として「高度な自治の要求」等も含めた選択肢について自己決定を行うべく幅広い議論を深めていく必要がある。 

具体的には、県知事、県議会の発議、または沖縄県民による住民投票の直接請求により、その実現の方策を、専門家らとともに様々な観点から検討していくべきである。

沖縄の人びとが本土復帰後半世紀を経てもなお、安全保障や、地域外資本による開発などの手段的立場を余儀なくなれている構造を変えていくには、本土の人々のこの問題に対する認識を変えていくことも不可欠である。そのためにはまず、法律、経済、政治、歴史、安全保障といった個別学問(ディシプリン)を超えて沖縄問題を体系的にまとめあげ、その根底にある構造的差別是正への取り組みにつなげる必要がある。また、他の国や地域で同じような問題を抱えている人々との連携も必要だ。本稿がそのための対話のきっかけとなることを願っている。

【原題】Okinawa and the Link Between Socioeconomic Disparities and Colonialism in Japan(Stanford Social Innovation Review, March 19, 2024)
【イラスト】Illustration by Raffi Marhaba, The Dream Creative.

安里長従

沖縄県石垣市出身、司法書士。沖縄国際大学非常勤講師。石垣市住民投票裁判原告弁護団事務局。「辺野古」県民投票の会元副代表。沖縄生活保護基準引下げに基づく保護費(減額)処分取消請求裁判原告弁護団事務局。司法書士として多重債務者の対応などにあたり沖縄の構造的な問題に気づく。以来、「基地」と「貧困」の一体的な解決を求めて活動を続けている。著書に『沖縄発 新しい提案―辺野古新基地を止める民主主義の実践』(共著、新しい提案実行委員会編、ボーダーインク、2018年)、『福祉再考―実践・政策・運動の現状と可能性』(共著、田中聡子/志賀信夫編著、旬報社、2020年)、『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか? 本土優先、沖縄劣後の構造』(共著、堀之内出版、2022年)などがある。

志賀信夫

宮崎県日向市出身、県立広島大学保健福祉学部准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。専門は、貧困問題、社会政策。2017年に安里と出会い、沖縄問題に強い関心を持つに至る。社会的排除理論を通して沖縄の問題をとらえた『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか? 本土優先、沖縄劣後の構造』(堀之内出版、2022年)を安里と共著で出版。その他の著書に『貧困理論入門』(堀之内出版、2022年)、『貧困理論の再検討―相対的貧困から社会的排除へ』(法律文化社、2016年)などがある。

1.Mark Ramseyer, “A Monitoring Theory of the Underclass: With Examples from Outcastes, Koreans, and Okinawans in Japan,” Institutional & Organizational Economics, January 24, 2020 .

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