なぜ21世紀に公害が繰り返されるのか
「公憤欠如社会」の行方
※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 03 科学技術とインクルージョン』のシリーズ「科学テクノロジーと社会をめぐる『問い』」をもとに制作したSSIR-J Webオリジナルコンテンツです。
中川 七海 Nanami Nakagawa
自分の利害を超えて憤れるか
私が所属するTansaは、探査報道(Investigative report)を専門とする報道機関だ。探査報道とは、暴露しなければ永遠に伏せられる事実を、独自取材で掘り起こし報じることを指す。犠牲者や被害者の置かれている状況を変えることと、将来の被害を防ぐことを目的としている。日英2言語でオンライン記事を発信している。
権力から独立するため、企業からの広告費は一切受け取らない。誰もが上質な情報に触れられるよう購読料も取らず、寄付や助成金で活動している。国際コラボレーションにも力を入れていて、これまでに英紙「ガーディアン」や韓国の独立非営利メディア「ニュース打破」をはじめとする報道機関と共同で発信や取材をしてきた。
Tansaの原動力は、「公憤」だ。自分の利害に関して怒る「私憤」とは違い、窮地に陥っている他人のために怒るということだ。だからこそ、Tansaは寄付という形で負託を受けて活動している。寄付者は「お客様」ではなく、他人のために共に怒り社会を前進させる「仲間」だと捉えている。
公憤が欠如した社会は、権力にとって都合がいい。私はそれを、現在手がける『公害PFOA』の取材で思い知った。空調大手・ダイキン工業が引き起こしている、大阪での公害問題を追う中でのことだ。
21世紀の公害
大阪府摂津市にあるダイキンの工場は、1960年代以降、約50年にわたって化学物質「PFOA(ピーフォア)」を製造・使用してきた。PFOAとは、「ペルフルオロオクタン酸(Perfluorooctanoic acid)」の略で、人工的に作られた化学物質だ。水や油をよく弾き、分解されにくい性質を持つ。フッ素加工の「焦げ付かないフライパン」や炊飯器の内釜、ハンバーガーの包み紙、防水スプレーなど、身近な生活用品に使われてきた。
1970年代以降、PFOAの有害性が明らかになっていく。母子への悪影響や発がん性、甲状腺疾患などの報告が世界各国から相次いだ。2019年には、日本も批准する国際条約「ストックホルム条約」で、PFOAの廃絶が決まった。その危険性は広く知られ、米国では同年、デュポンによるPFOA公害を描いた実録映画『ダーク・ウォーターズ』が大ヒットしたほどだ。2021年10月には、ようやく日本でも経産省が製造と輸入を禁止した。
PFOAは「永遠の化学物質」と呼ばれるほど残留性が高い。過去に工場から漏れ出たPFOAは水や土に蓄積してしまう。2020年の環境省の全国調査では、摂津市にあるダイキン淀川製作所近くの地下水から、同省が定める目標値の36倍を超えるPFOAが検出された。全国でも突出した高濃度だ。
この公害の深刻なところは、PFOAが環境中だけではなく、人体からも検出されていることだ。京都大学の小泉昭夫名誉教授らが淀川製作所の周辺住民9人を検査したところ、全員の血液から高濃度のPFOAが検出された。最も高い人で、非汚染地域の住民の70倍を超えた。
日本社会は戦後の経済成長期、水俣病やイタイイタイ病をはじめとする多くの公害を経験した。企業と行政は再発防止策を講じ、住民はそれを遵守するよう求めてきたはずだ。なぜ21世紀の今も公害が繰り返されているのだろうか。
怒れない「城下町」の住人たち
取材に着手した2021年5月当初、私はある違和感を抱いた。摂津市内で、住民の血液検査を取材したり、ダイキン工場周辺の住民への聞き込みを重ねたりしていた時期だ。取材に応じてくれる住民が極端に少ないのだ。PFOAに高濃度曝露している被害者でさえ、「ダイキンさんには世話になっとるからなあ」と口を閉ざした。中には、取材には応じてくれたが、摂津ではなく大阪市内にある会員制ラウンジを取材場所に指定されたこともあった。
なぜ、堂々と声を上げられないのか? 取材を重ねるにつれ、答えが見えてきた。摂津には「ダイキン城下町」が築かれていたのだ。
ダイキンが摂津に進出してきたのは、1941年のことだ。当時は戦争の真っ只中。ダイキンは海軍艦政本部長から命ぜられ、航空機や食糧庫の冷却に欠かせないフロンを製造した。
戦時中のフロン製造が、戦後のダイキンの発展につながる。フッ素技術で世界のトップを走っていた米国デュポン社に「追いつき追い越せ」を目標に掲げ、フッ素事業に注力していった。1960年代にはPFOA製造に着手し、ダイキンは世界の8大PFOAメーカーの一つにまで上り詰めていった。
当時から、ダイキンは地元の「公害企業」だった。敷地外に何度も有毒ガスを漏出させ、地域の農作物は焼け焦げた。住民が避難を強いられることもあった。
だがダイキンは、地域住民への懐柔策が周到だった。
1973年には淀川製作所に「地域社会課」を設置した。責任者に就いたのは、製作所の副所だった井上礼之氏。その後社内の出世階段を駆け上がり、1994年に社長に就任。今も会長の座にあり、報酬額は社長の十河政則よりも1億3200万円多い4億3200万円(2021年度)だ。地域社会課は、盆踊り大会やバスツアーを毎年開催して住民を招待した。
多くの地域住民を雇用し、行政にも税収で恩恵をもたらした。摂津は、ダイキンに物言えぬ「ダイキン城下町」となっていった。
立ち上がった城下町
だが、及び腰だった住民に変化が見え始める。Tansaの記事を読み、PFOA公害の深刻さを知る摂津住民が増えてきたのだ。
まずは市議会が動いた。2022年3月、摂津市議会がPFOA汚染対策を求める国への意見書を全会一致で可決。共産党から大阪維新の会まで、超党派で賛成した。
市民たちは「PFOA汚染問題を考える会」を結成。ダイキンへの情報公開や汚染対策を求め署名活動を実施し、4月には1565人分の署名を摂津市長に提出した。署名活動は今も続いており、1710筆に上っている。さらに2022年12月、オンライ署名サイト「Change.org」で新たな署名キャンペーンを立ち上げた。2023年1月現在、1万5000筆を超える署名が集まっている。
それまで沈黙していた住民たちは、なぜ動いたのか。
「PFOA汚染問題を考える会」で事務局長を務める谷口武さんは、子どもたちの健康が気がかりだったのだ。谷口さんは定年まで、商業高校の教師として働いていた。退職後は小学校の学童保育の職員として、今も日々、子どもたちと接している。
摂津市内に住む谷詰眞知子さんも、署名集めに協力したメンバーの一人だ。谷詰さんはまず、近くに住む自身の娘に署名を依頼した。母から話を聞いた娘は、自分や子どもがPFOAに曝露していないか心配した。その様子を見た谷詰さんは、娘のように、我が子を心配する住民が他にもいるかもしれないと気がついた。摂津市内で約260軒の家を訪問し、署名を集めた。
署名集めをする中で、谷詰さんはあることに気がついた。署名を拒否する住民の多くが、「ダイキン」の名前を挙げていたのだ。
「友人や親戚がダイキンで働いている方は、汚染対策を求める相手がダイキンだとわかると、署名を敬遠されました」
ダイキンに遠慮する住民がいる一方で、「地域のお父ちゃん」は子どもを守る立場を選んだ。摂津市内で自営業を営む倉井孝二さんだ。倉井さんは、地域の小学校に通う小学6年の息子をもつ。だが倉井さんにとっては、地域の子どもたちもまた、自分の子同然だ。休日になると、近所の子どもを集めて餅つきやバーベキューをしたり、夏には簡易プールを組んで遊ばせたりする。近所の子どもが悪さをすれば、自分の子と同じように叱って育てる。地域住民からは、「子どもたちみんなのお父ちゃん」と評されている。子どもたちも、そんな倉井さんを慕っている。
「相手がダイキンだろうが、関係ありません。地域の子どもや、さらにその子どものことまで考えないと」
倉井さんは、職場の従業員にも署名を呼びかけた。子どもがいる者もそうでない者も、署名に協力した。
たらい回しの行政、完全無視のマスコミ
しかし、行政とマスコミの動きは鈍い。
摂津市長の森山一正氏に、私は2回に渡って対面取材した。市長としてダイキンに汚染者責任を果たすよう迫るべきだと追及した。だが森山氏は言った。
「事業所だって困る。こんなんいつまでもやってたら」
国会では昨年、Tansaの記事をもとに、摂津でのPFOA汚染について審議が行われた。だが当時の環境大臣は「大阪府知事の仕事」と、吉村洋文大阪府知事に対応を任せた。ならばと、私は吉村知事へ取材を申し込んだが吉村知事は取材を拒否した。代わりに応じた担当課は、ダイキンに遠慮して虚偽の説明を繰り返すばかり。私は吉村知事に抗議文を出したが、改まることはなかった。
マスコミも見て見ぬふりを貫いた。特に驚いたのが、全国紙やテレビ局が加盟している摂津市の記者クラブだ。記者クラブには市役所内に記者室が用意されている。これまで私は何度も記者室に足を運んでみたが、記者がいた試しがない。PFOAが審議される議会を傍聴する記者も見たことがない。
議会を取材した時のことだ。血液から高濃度のPFOAが検出された男性が傍聴していて、私にこう言った。
「傍聴席の真ん中に座ろうと思ったら、記者専用で座れませんでしたわ。記者さんは誰もおらんかったけどね」
行政とメディアが本来の役割を果たさない状況で、ダイキンは自分たちが窮地に陥ることはないと高を括っているように見える。摂津でのPFOA汚染を自社が引き起こしたことすら、まともに認めないからだ。
私が取材した当初、摂津でのPFOA汚染についてダイキンは「弊社が汚染原因の可能性の一つ」という見解で、原因でない可能性も示していた。
しかし、ダイキンの淀川製作所が汚染源であることは明らかである。私が入手したダイキンの内部文書には、淀川製作所から大量のPFOAを敷地外に排出していた事実が記されていた。そもそも、ダイキン以外にPFOAを製造している工場は摂津市内にも、大阪府内にもない。
取材で入手した事実をぶつけていく中で、ダイキンは「弊社が原因の一つであることは間違いない」と見解を変えた。当初の「原因の可能性の一つ」から、「可能性」という言葉を抜いたのだ。しかし、今でも全面的には認めようとしない。
公憤欠如社会を脱するには?
ダイキンは自社の汚染者責任を全面的に認めていないので、対策も取らない。一方で、研究者が住民の血液検査をするたびに、高濃度のPFOAに暴露した人が見つかるという状況が続いている。京都大の小泉名誉教授らによる2020年以降の調査では、血液検査を受けた住民の85%が高濃度曝露している。この状況を打開するにはどうしたらいいのか。
私は「公憤」を持つ人が社会に増えることが重要だと思う。
摂津でのPFOA汚染でいえば、摂津の住民でなくても、社会を構成するあらゆる人が、当事者の苦悩を想像して憤るということだ。公憤が結集したとき、きっと事態は変わる。
逆に当事者だけの怒りで終われば、何も変わらない。たとえ一時は動いたとしても、直ぐに元の木網となる。水俣病など多くの公害を経験したにもかかわらず、また公害が起きるのは、日本社会に公憤が欠如しているからだと思う。
公憤が満ちる社会にするには、Tansaの活動だけでは到底足らない。どうしたらいいか、正直言って私にはまだわからない。本稿を読んでいただいたあなたに、共に考えてほしい。
【写真】荒川智祐(Tansa)
中川七海
Tokyo Investigative Newsroom Tansa リポーター
1992年、大阪生まれ。大学時代の2013年、誰もが東日本大震災の被災現地を訪れ、状況を目の当たりにできる機会をつくるため、宮城・気仙沼にて音楽イベントを設立。大学卒業後、米国に本部を構える世界最大の社会起業家ネットワーク「Ashoka」に就職。2020年、探査報道に特化した非営利独立メディア「Tokyo Investigative Newsroom Tansa」のジャーナリストに。原発事故下の精神科病院で起きた事件の検証報道『双葉病院 置き去り事件』でジャーナリズムXアワード大賞、ダイキン工業による大阪での化学物質汚染を描いた『公害PFOA』でPEPジャーナリズム大賞を受賞。