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「誰かがやらなければいけないこと」は誰が引き受けるのか

「誰かがやらなければいけないこと」は誰が引き受けるのか

地域コミュニティの自由と強制をめぐるジレンマ

※本稿は、SSIR Japan 編『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 05 コミュニティの声を聞く。』のシリーズ「コミュニティの創造と再生をめぐる『問い』」より転載したものです。

田中輝美|Terumi Tanaka

「関係人口」の登場

人口減少が進む現代社会において、誰が地域を再生する「主体」となるのかという問いはさまざまな場で提起されてきた。その主体と捉えられてきた地域住民の数は減り、観光などで一時的に訪れる「お客様」は地域の担い手にはどうしてもなりにくい。そこで2016年に登場した概念が「関係人口」だ。「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」のことで、観光客に代表される短期の「交流人口」と、数が減り続けていく長期の「定住人口」の間に位置づけられる。

2018年に総務省は、人口減少が先行する地方においては「地域外の主体」の力を取り込むことが必要であるとして、なかでも関係人口への着目が地域再生の糸口になる、という報告書を公表した。同省が「『関係人口』創出事業」を始め、関係人口への期待は急速に高まった。

過疎の発祥地ともいわれる島根県で生まれ育った私は、それ以前から、定住者の増加や経済指標の伸びこそがわかりやすい成功の証という従来の考え方に疑問を持っていた。また、地域再生に携わろうとすると、住むことを求められがちな風潮も気になっていた。外から仲間として関わり続けることも可能で、実際にそう望む人たちにも出会ってきていた。そんな問題意識を持っていたところ、関係人口という新しい概念に出合って、救われる思いがした。以降、関係人口についての調査研究を続けている。

地域に関わる自由と関わらない自由

関係人口は、地域外にいる地域再生の主体になることができるし、地域住民の主体性を外から引き出す存在にもなることができる。研究を通してそう考えていた。しかし最近、中山間地域の住民からある話を聞いた。そこでは関係人口と一緒に集落の課題解決を図っていたが、住民側が「外の人がやってくれるなら、自分たちはもう関わらなくていいね」と口にしたという。その話を聞いて、非常に悩ましいと思った。関係人口の存在によって、むしろ住民が関わらないようになるとは私自身あまり想定していなかった。

しかし同時に、コミュニティに関わる人が増えれば、こうした現象は増えていくだろうとも考えた。外部の関係人口は、その地域を選んで関わっている。地域の外から「関わる自由」があるならば、中にいる住民にも「関わらない自由」があり、関わらないという選択をすることも尊重されると考えるべきだろう。住民が関係人口に依存していると批判する見方もあるかもしれないが、視点を変えれば、選択肢が増えて暮らしやすいコミュニティになったと言うこともできる。自由であること、関わり方を自分で決められること自体は歓迎できることだと思う。その一方で、置き去りにされる課題が浮かぶ。地域には、「誰もやりたくないけれど誰かがやらないといけないこと」が必ずある。それらは、誰が引き受けるのだろうか?

行政や市場のサービスが不足しがちな中山間地域は、多かれ少なかれ住民参加を一種の「強制」というかたちにすることで、地域の機能を維持してきた側面がある。草刈りなどの地域維持活動、田植えや祭りも共同作業が前提だった。そうした作業を重荷と感じる住民もおり、高度成長期に多くの人々が地域を離れて過疎が生まれた理由の1 つにもなった。残った住民も高齢になり、いままでのような地域活動は難しくなってくる。「自分たちはもう関わらなくていい」という声の背景には、こうした事情もあるだろう。「お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」と労いの言葉をかけたいとも思う。

一方で、地域内の「関わらない自由」が積み重なった結果、「誰かがやらないといけないこと」が宙に浮いてしまう可能性もある。どう考えるべきか悩む非常に難しい問題ではないだろうか。当初の想定のように、関係人口の登場によって地域住民の主体性が刺激され、担い手が増えるケースばかりではないように感じている。

地域の外に仲間をつくる

関係人口をめぐっては、交流人口や定住人口と同じように、その数を増やす量的な議論に向かいがちという課題も指摘されてきた。特に量的な側面が強調されたのは、2018年に国の地方創生政策で関係人口の創出・拡大が掲げられたことが影響しているが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大を経て、過熱気味だった関係人口ブームは一旦収まりつつある。

私自身は、必ずしも関係人口の概念を広めたり、関係人口を増やしたりすることを目的に取材や研究をしてきたわけではない。関心があったのは、人口が減っていく地域で住民が幸せに生きていくためにはどうすればいいのか、そのアプローチの1つとして地域の外の仲間に目を向けるということだ。

現在の地方の課題は、人口流出や産業の衰退だけでなく、住民がその地域に対する誇りや主体性を失っていく「心の過疎化」だと指摘されている。コミュニティの外にいる他者とのつながりは刺激となり、心の過疎化を回復させることにもなる。

なかには、あえてよそ者を積極的に受け入れない地域もある。「骨をうずめる覚悟」がある人に移住をしてほしい、そして「郷に入っては郷に従え」という姿勢が代表的だろう。こうした地域のあり方も、住民たちが話し合った結果なら、否定する必要はないだろう。

そのうえで言えるのは、「骨をうずめる覚悟のある人しか来てほしくない」というマインドの地域には関係人口は生まれにくいし、関わり方の自由がないコミュニティには、新たな出会いも生まれにくい。

コミュニティを開きながら、ジレンマとも向き合う

現在、関係人口と呼ばれる人々と協働できている地域の多くは、そもそも関係人口を募集していたわけではなく、また関係人口となる人たちが必ずしも最初からその地域の課題解決を志向していたわけではないだろう。先に地域の課題ありきで、その解決のためのスキルを持った人材をマッチングするという順番では、楽しさは生まれにくいし、信頼関係をつくり、それを維持することもそう簡単ではない。それよりも、さまざまな人が自由に混じり合う偶発的な場づくりにフォーカスしたほうがよいのではないだろうか。そうした環境や仕組みによって、人と人が出会う。仲間が増えていくことで、地域の課題が地域外の人に共有される。信頼関係を築くうちに、その地域に住む相手の困りごとが自分の困りごとのように思えて何か手伝いたくなる。そうした連鎖を生む場は、一見非効率で遠回りに思えるかもしれないが、地域とつながる人間関係を増やし、結果として地域課題解決の近道になるのではないか。逆説的ではあるが、もうあえて関係人口という言葉を使わなくてもよいのかもしれない。

人は、自分で選んで関わると、楽しく関わることができる。必ずしも課題解決のためではなくとも、そこにいる人たちのために何かしたいと動くことができる。関係人口にとっても、地域住民にとっても、関わり方を自分で「選択できる」ということが大切なのだろう。そのうえで、「誰かがやらなければいけないこと」が置き去りにされてしまうことのないよう、丁寧に議論していくこと。そのバランスは非常に難しく、唯一絶対の正解はない。しかし、コミュニティを開きながら関わり方の選択肢を増やし、それぞれの自由を認めつつ、自由と強制のジレンマに正面から向き合う努力が、今後の地域再生には避けて通れないと考えている。

【構成】田中謙太郎

田中輝美

島根県浜田市出身。大阪大学文学部卒業後、山陰中央新報社に入社し、ふるさとで働く喜びに目覚める。報道記者として、政治、医療、教育、地域づくり、定住・UIターンなど幅広い分野を担当。琉球新報社との合同企画「環(めぐ)りの海-竹島と尖閣」で2013年度新聞協会賞受賞。2014年秋、同社を退職して独立、島根を拠点に活動している。著書に『関係人口をつくる』(木楽舎)、『関係人口の社会学』(大阪大学出版会)など。2020年、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。2021年、島根県立大学地域政策学部に着任。

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